この世界の片隅で

今に繋がるどんな境遇や時代でも

当然人は生きてきた。どんなに暗い時代でも喜び悲しみそして楽しみがある。

「良かった」とよくのんびり屋の主人公は言う。

兄嫁にいびられても、好きだった人と一緒にならなくても、絵を描く右手を失っても、信じていた国が負けても。

「良かった」と言えなくなる。

当然ふつうにのんびり屋は生きている。

生きていく。

 

 

喜んで貰う

人に喜んで貰える人になる

すると相手の方から自分のことを知って貰える

自分で発信してもなかなか伝わらない

それは資格がないから

話し始める前に相手はもう自分の話を聞くか聞かないか決めている。

この人の話は信用できると思うか、どうか

机の上が汚い人に整理整頓の話を注意されても響かない。

ブログ

ブログで自分の行動以上のことを表現できる人と表現できない人がいる。

できない人は価値がないっとなってしまっていまいか?

価値は人の評価だけではない。行動する人の成長や学びだ。

自分の行動の価値が下がってしまうぐらいなら、向いてないだけだ、別の表現法を探そう。